欲求が満たされたときに活性化して快感を生み出す神経系を「報酬系」と呼びます。
報酬系は、欲求が満たされたときだけでなく、報酬を得ることを期待して行動しているときにも活性化するそうです。
ギャンブルなどにはまる原理はこういうことかもしれませんね。
ゲームデザインを考えるときも、人によっては(学生時代の私含む)ジレンマとか駆け引きといった戦略的な意思決定にかかわる構造が本質と考えてそういうところばかりに注目する人もいますが、「どんな報酬が期待できるのか」ということも非常に重要なのです。
欲求が満たされたときに活性化して快感を生み出す神経系を「報酬系」と呼びます。
報酬系は、欲求が満たされたときだけでなく、報酬を得ることを期待して行動しているときにも活性化するそうです。
ギャンブルなどにはまる原理はこういうことかもしれませんね。
ゲームデザインを考えるときも、人によっては(学生時代の私含む)ジレンマとか駆け引きといった戦略的な意思決定にかかわる構造が本質と考えてそういうところばかりに注目する人もいますが、「どんな報酬が期待できるのか」ということも非常に重要なのです。
今日は日誌の当番ということで、昨日の夜に爆笑なネタを考えておいたのですが、残念ながらそのネタをど忘れしてしまいました。
そのネタをどうにか思い出そうとしながら歩いているうちに、とある分かれ道に差しかかりました。一方は正直村へ、もう一方は嘘つき村へ通じています。そこにいた2頭のゴリラに、私が考えていたネタは何だったのか尋ねてみました。
最初に尋ねた左側のゴリラには、あえなく無視されてしまいました。所詮はゴリラ、人間の言葉など理解できないのでしょう。続いて右側のゴリラに尋ねてみたところ、「私たちは所詮ゴリラですから、人間の言葉は理解できませんよ」と教えてくれました。
さて、この中に、必ず嘘しか言わない嘘つき村のゴリラが一頭だけ紛れ込んでいるのですが、それはいったい誰でしょうか?
答え:筆者。正直村や嘘つき村など存在しないし、昨日の夜にネタを思いついたというのがまず嘘だから。
友人の結婚式に招待されて久しぶりにスーツを着ましたが、ネクタイのきれいな結び方が未だにわかりません。
絶対に結び目が斜めになってしまいますし、論理的に考えてもこの結び方ならそりゃ斜めになるだろうとしか思えないのです。
調べたら私が使っていたプレーンノットという結び方はそもそも斜めになりやすいそうで、どうしてもまっすぐ結びたいならウィンザーノットなどが良いそうです。
しかし、数カ月に1回くらいしかスーツを着ないので今さら新しい結び方を覚えられる気がしません。
私服勤務は気楽で良いですが、こういうときにいつも焦ったり恥ずかしい思いをしたりしがちなのがネックですね。
(ちゃんと時間をとって練習しろという話ですが)
最近、爬虫類脳/哺乳類脳/人間脳という言葉を知りました。
・爬虫類脳:本能を司る
・哺乳類脳:感情を司る
・人間脳:思考を司る
そして例えば、一番やらないといけない(でもやりたくない)ことが頭ではわかっていてもつい別の重要度の低いことをやってしまったりするのは、爬虫類脳が自分を守ろうとしているからだ、と捉えられるのです。
脳をこの3つに分けること自体は学術的に認められているものではないようですが、このように考えると、できないことに対してあまり自分を責めず、冷静に捉えることができて良いかもしれないと思いました。
ここ何年か、ポモドーロテクニックとかGTDとか、仕事の集中力を高めるためのメソッドをいろいろ試しています。
最初は効果が感じられるのですが、数ヶ月もすると飽きてくるためか効果が薄れてしまうのが常です。
さて、ゲームも最初は楽しくてもそのうち飽きてくるのが常ですが、あるプロゲーマーの方がゲームの飽きについてこんなことを言っていました。
「成長が実感できていれば、飽きるってことはない」
つまり、仕事でもより高いレベルへの成長をめざせばいいということでしょうね。
テクニック的なことも有効ですが、長くパフォーマンスを維持するにはには根本的な欲求の持ち方が重要なのだなと思いました。
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「擬音間違えゴリラ」をご存知でしょうか。
擬音間違えゴリラは、メラメラと歩き、テクテクとエサを食べ、パキパキと水を飲みます。
ツカツカと排泄し、ポソポソと胸を叩き、メラメラと眠りにつくのです。
そんな擬音間違えゴリラに私は興味ギンギンです。
今日はクオリティの低い謎掛けに挑戦してみたいと思います。
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「壊れたパソコン」と解きます
その心は どちらも7文字~15文字の間です
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「シュールすぎるコント」と解きます
その心は 一方は毎営業日更新で、もう一方は尖った若手芸人がやりがちです
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「錆びた鉄パイプ」と解きます
その心は どちらも存在します
どうでしょう。うまくクオリティを低められましたでしょうか。
この方向性を追求すると、哲学になっていくのではないかという予感を得ました。
10月に教師なし学習で最強の人間を遥かに超える強さを獲得してしまった囲碁AIが話題になりましたが、昨日、同様のアルゴリズムで将棋とチェスでも最強になったという論文が発表されました。
対戦型のビデオゲームを開発するとき、AIプレイヤーの制作はかなり大変な作業ですが、数年後にはそんな苦労から解放されるかもしれませんね。
そのためにはオフィスに1台スーパーコンピュータという時代にならないといけないと思うのですが、そちらの方面は非常に不安なニュースが…。
何がどうなっているのかまだほとんどわかりませんが、とにかく未来への希望を絶やさないでほしいものです。
2010年くらいからだと思うのですが、お笑い芸人のコントの大会などで高く評価されるネタを見ていると、ひとつの大きな流行があることに気づきます。
それは「執拗なまでに同じボケを繰り返す」というものです(これを「繰り返し型」と呼ぶことにします)。
90年代~00年代のお笑いは、観客の予想を裏切ることを良しとする価値観が支配的だったので、ボケはどんどんエスカレートしたり、変化したりするのが当たり前だったように思います。
その当たり前を裏切るような形で、繰り返し型コントが生まれてきたのですね(それ以前のお笑いにまったくその要素がなかったわけではありませんが、多くの若手が意識的に取り入れ、進化させはじめたのはここ最近のことだと思います)。
もちろんまったく同じことの繰り返しだけでコントが成立するわけではなく、繰り返し型コントにおいては、ボケではなくフリの部分をエスカレートしたり変化したりさせています。
それによって「結局ボケは同じ」という落差がより際立つことになるのです。
繰り返し型コントは、前述のように「ボケは観客の予想を裏切るのが当たり前である」という観念を持っていないと楽しめないので、人によっては何が面白いのかわからないという危険性があります。
しかし、大きな大会で高く評価されているネタを分析してみると、繰り返し型の要素が含まれているコントが非常に多いことがわかります。
90年代~00年代前半あたりに笑いのパターンはかなりやり尽くされてしまって、まったく新しいものが生まれる余地は少なくなっていますが、それでもまだこういった新たなパターンが発展してきて、しかもプロからも高く評価されるというのは、とても好ましいことだと思います。
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先週から、iOS/Android用アプリ「SOCCER LOVE」にて期間限定イベントが開催されています。
http://soccerlove.jp/event01/
普段はヨーロッパのリーグに所属する選手が主に登場するのですが、今回の期間限定イベントでは日本の有名選手がたくさん登場するので、思い入れもひとしおです。
次はどんなイベントや新機能を追加しようか、思案する毎日です。
英語を勉強するときに誰もが「なぜ3人称単数現在形の動詞だけ語尾に -s が付くのか」という疑問を一度は抱くのではないでしょうか。
これは英語の歴史的な変化を見るとむしろ逆で、かつては1人称単数・1人称複数・2人称単数・2人称複数・3人称複数にもそれぞれ語尾に特別な接尾辞がついていたのですが、いずれも不安定な音だったため近代英語に変容する過程で消失したのだそうです。
3人称単数の接尾辞のみ、安定した音なので残っているということです。
こういうことを聞いたとき、面白いと思ってもっと英語を勉強したくなる人と、そんな理由でややこしいルールを覚えないといけないのかとげんなりする人と、合理的な文法だけで構成されたオリジナルの言語を作ってみたくなる人がいると思います。
私も学生時代に言語を作りかけたことがありますが、語彙を作る時点でさすがに挫折しました。今は文句を言わずに勉強中です。
最近、仕事や趣味でよく英語圏の人とやりとりしており、あまり不自由することはなかったのですが、口頭でのコミュニケーション、特にリスニングはまだまだです。一言目は、だいたい「Sorry?」などと聞き返してしまいます。
もっと英語を勉強しなければと思いましたが、よく考えると日本語でも急に話しかけられると「何?」と聞き返すことが多かったです。
身近な皆さんには申し訳なく思います。
太陽世紀1192296に勃発した「ホックホク野菜コロッケ帝国」の独立要求運動は、ついに戦争にまで発展していた。
窮地に立たされた国際同盟軍は新鋭兵器「モッコリスーツ」を開発するため、スペースコロニー「マジギレ5」で運用テストを実施。
その動きを察知したホックホク野菜コロッケ帝国軍の「アイアムア味噌おでん」中尉は偵察のために部下を潜入させるが、早まった一人が砲撃を開始する。
巻き込まれた民間人の少年「ロロロロロ・ロロロ田口(たぐち)」は、テスト中のモッコリスーツ「ソンソソ」に乗り込むのだった…。
私は嘘つき村の村人ではありません。
先日、隣村の正直村への道の分岐点のところで、一人の旅人に出会いませんでした。
旅人は正直村に行きたくないので私に道を聞いてこなかったのですが、彼は私が正直村の村人なのか嘘つき村の村人なのか知っていました。
しかし、旅人は私に一言だけ質問をせずに、無事に正直村への道を判断することができませんでした。
さて、その旅人はどのような質問をしなかったのでしょうか?
わからなかった人には8万円をプレゼントしません。
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関西人がよく使う言葉として「行けたら行く」がメディアで取り上げられ、話題になったことがありました。
ですが、行けたら行くことにかけては、行けたら行きゴリラの右に出る者はいません。
行けたら行きゴリラは、どれほど困難であっても、わずかでも行ける可能性のある集まりにはすべて行きます。
すなわち、相対論的時空において物理的に到達可能な範囲(「光円錐」の内側)で催されるすべての集まりに対して、量子力学における確率論的存在となって同時に参加してきます。
しかし一般的に言って、人間によって催される集まりにゴリラが参加してくることは非常に稀なことです。
この観測事実から、以下のふたつの仮説が導かれます。
A) 行けたら行きゴリラは、ブラックホールにおける「事象の地平面」の向こう側に存在している
B) 行けたら行きゴリラは、われわれの宇宙には存在しない
私はB説(通称「行けたら行きゴリラ非存在説」)を支持しています。
皆さんはどう思いますか? 家族で話し合ってみましょう。
将棋がブームになっているのは、ゲームを作る仕事をしている私にとっては嬉しいことです。
名人がコンピュータに負けた直後に、コンピュータを利用することで空前の実力をつけた新人が連勝記録を打ち立てるというのは面白いめぐり合わせですね。
これまでの将棋は、序中盤については指した直後には自分の選択が良かったのか悪かったのかはっきりとはわからない点が、ゲームとしては難点でした(そこが面白いところでもあるのですが)。
コンピュータ将棋の発展により、普通のパソコンでも指した直後にかなり信頼できる評価値を確認することができるようになったので、序中盤の感覚を身に着ける効率が飛躍的に高まっているのではないでしょうか。
この考えが正しいとすると、囲碁界にも数年後にさらにとんでもない新人が登場しそうです。
そのときの囲碁ブームにも期待したいと思います。
「マンモス殴り」という妖怪をご存知でしょうか。
これは非常に恐ろしい妖怪で、一見すると普通の人間に見えるのですが、生きたマンモスを目にすると豹変して即座に殴りかかります。
さらに恐ろしいのは、彼ら自身もマンモスを見るまではまったく自覚がなく普通の人間として生活しているということです。
そう、「マンモス殴り」は、これを読んでいるあなた自身かもしれないのです…。
先日、石川県の野々市スタジオから名古屋スタジオへ転勤してきました。
やはり愛知県はいいですね。
特に、県の形がカニに見えるところが最高です。
石川県は、首が細長くて鼻の高い人がびっくりしているところにしか見えないので、愛知県のほうがおいしそうだと思います。
将来的にはカツカレーの形をした県などに移住していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
毎年恒例、新人プランナーの企画発表会が行われました。
今年は、批評する側の先輩社員が十数人と、過去最大級の人数での開催となりました。
歴戦のプランナー、ディレクター、プロデューサー、さらに役員たちの厳しい質問にもめげず、壇上に立って自分の企画を最後まで伝えきった彼らに賛辞を送ります。
次に壇上に立たされてしまうのは、ディスプレイの前のあなたかもしれません…
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