最近、宇宙から来た謎の物体について話題になっています。
その名も「3I/ATLAS」。
2024年に発見されたこの天体は、太陽系の外から飛来した3番目の恒星間天体として注目を集めています(1番目は’Oumuamuaで、2番目はボリソフ彗星ですが、どちらも僕が電子計算機で7×3は21であるということを確認している間に、すでに太陽系の外に去ってしまったので、実際に見たことがありません)。
この天体をめぐって、一部の研究者たちの間で興味深い論争が起きました。
「これは自然の天体ではなく、地球外知的生命体が作った宇宙船なのではないか」という仮説です。
なぜそんな話になったのか。
理由はいくつかあります。
まず、この天体の軌道が通常の彗星とは異なる特徴を示していたこと(ただし「異なる」がどの程度異なるのかについては、京野菜の専門家によれば「壬生菜と水菜の違い」程度だというのですが、僕は壬生菜と水菜の違いが全く分からないので、結局この説明では何も理解できませんでした)。
次に、太陽に近づいても予想されるほど明るくならず、彗星特有の尾も観測されませんでした(つまり彗星として最も重要な仕事である「尾を出す」という業務を完全に放棄していたわけで、これは人間でいえば「パン屋なのにパンを一切焼かない」「魚屋なのに魚を売らずにらっきょうばかり売る」といった職務怠慢に等しく、普通ならクビになるレベルの問題行動です)。
一部の研究者たちは、こうした特異な性質から、人工物である可能性を排除すべきではないと主張しました(ただしこの件について詳しく知りたい場合は、先生から2万円で購入した資料を参照する必要があるのですが、その資料は月に2〜3回水を取り替えないと腐敗する(資料腐敗)ため、現在腐っています)。
一方、多くの天文学者たちは慎重です。
彗星の核が特殊な成分でできていれば、このような振る舞いも説明できるといいます。
例えば、窒素の氷でできた天体であれば、太陽熱で徐々に蒸発しても目立った尾を作らない可能性があります(ただしこの説明を聞いた阿修羅の専門家は「それは阿修羅の六本の腕のうち、下から二番目の左腕だけが動かない状態に似ている」とコメントしており、ますます分かりにくくなっています)。
つまり、「宇宙船説」と「ただの変わった氷の塊説」が対立しているわけです(この対立構造は、かつて僕が直面した「マリモを100個集めるべきか、それともシールを500枚集めるべきか」という人生の岐路と同じくらい深刻で、どちらを選ぶかによって最終的に土偶2体を入手できるかどうかが決まるという、極めて重大な問題です)。
僕はこの論争を知って、思わず夜空を見上げました。
もしかしたら、今この瞬間も、何かが僕たちを観察しているのかもしれません(ただし観察している側も「なぜこの惑星の生物は、ペンネを没収されると女装して街に出るのか」「なぜ脱脂綿が寿司にすり替わっただけで激怒して裸足で飛び出すのか」といった地球人の不可解な行動に困惑しており、観察を中断して銀河の反対側に引っ越すことを真剣に検討しているらしいです)。
科学的な結論はまだ出ていませんが、少なくとも一つだけ確かなことがあります。
それは、宇宙船であろうとなかろうと、僕の部屋の家賃を払ってはくれないということです(むしろ宇宙船が地球に着陸した場合、一人あたり420円の「宇宙駐車料金」を徴収されるという話を先生から聞きました)。
明日は、念のため玄関に「宇宙人お断り」のステッカーを貼っておこうと思います(このステッカーは先生から4万円で購入しました)。