最近、何人かの浜松市のアマチュア中高生シンガーソングライターの曲をエンドレスリピートで聴いてます。浜松は世界的な楽器メーカーの本社がやたら集中している都市なので、音楽教育も盛んなのでしょうか。
自分の半分の年齢の人が創り出した音楽に感銘を受けるのは初めての経験で、歳をとったものだなと思いました。
特に今の高校1年の世代っていろいろな分野に怪物を輩出していますが、いったい何が起こっているんでしょうか。たまたまなんでしょうか。
最近、何人かの浜松市のアマチュア中高生シンガーソングライターの曲をエンドレスリピートで聴いてます。浜松は世界的な楽器メーカーの本社がやたら集中している都市なので、音楽教育も盛んなのでしょうか。
自分の半分の年齢の人が創り出した音楽に感銘を受けるのは初めての経験で、歳をとったものだなと思いました。
特に今の高校1年の世代っていろいろな分野に怪物を輩出していますが、いったい何が起こっているんでしょうか。たまたまなんでしょうか。
毎年この時期になると、新卒プランナーたちの企画立案研修が実施されます。
今年も私はそれらを見てコメントさせていただきました。
個人的には、良い企画やダメな企画よりも、「惜しい」企画に対してコメントするほうが勉強になって楽しいと感じます。
まったく見どころがないわけではないけどちょっと違和感を受けた企画に対して、その違和感の原因を分析し、さらに自分ならどうするかを考えて言語化するという感じで、自分のイマジネーションも刺激されます。
ちなみに他人の企画を評価するという演習メソッドは大学のゲーム系の学部でも研究されていて効果を実証した論文も発表されているので、企画力を伸ばしたい初心者にはオススメできる方法かなと思います。
ネアンデルタール人って昔は現生人類の祖先であると言われていたように思いますが、
最近の研究では現生人類と同時並行的に発生した種であるとされています。
現生人類より脳も体も大きく、個体レベルの能力は現生人類よりも優れていたとも言われています。
ネアンデルタール人が絶滅して現生人類が生き残った理由としては諸説ありますが、
現生人類は地球史上唯一、存在しないもの(虚構)についての情報を伝達する能力を獲得した種だったからとする説があります。
この能力によって神話を共有し、大規模な集団的行動が可能になったのだそうです。
ゲーム制作も虚構を作るに過ぎない作業ですが、これこそが人間の本質なのかもしれない、
と思う今日この頃です。
「魔術師手術中」という早口言葉がありますが、「呪術師手術中」のほうが言いづらいですし、「邪術師手術中」はもっと言いづらいじゃないですか。
「邪術師除湿中」も早口言葉としてはいい感じなのですが、邪術師という禍々しさと除湿という日常性がそぐわない印象があります。
「邪術師女子、少々樹脂射出中」までいくと相当言いづらいですがもう何だかよくわかりません。おそらく、超自然的な作用を有する呪文によって樹脂を他人に向けてちょっぴり射出することで危害を加えようとする、悪い女子なのだと思われます。控えめなところが可愛らしいですね。
ゲーム制作という仕事をするうえで、遊びについて考えることがよくあります。
遊び行動は、人間に限らず高度な知能をもった動物に見られると説明されることがありますが、
個人的な解釈としては逆で、遊び行動をするから知能が発達したのではないかと思っています。
まあ、実際のところは証明されているわけではありませんが、そう考えると遊びを作るという自分の仕事が尊いような気がしてきます。
また、最近はディープラーニング等の技術の発展により、汎用人工知能(AGI)の実現への道筋が少しだけ見えてきたような気がしますが、そこでも遊びというのは重要な役割を果たすのではないかと思っています。すなわち遊びとして楽しみながら学習するAIというアイデアです。
もしそういうものが現れたら、私はそのAIを楽しませるためのゲームを作りたいです。
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伝統のある競技(将棋とか野球とか)の世界で突出した才能が出てくると、過去の偉大なプレイヤーと比較されるのが常です。
どの競技も、時代が進むにつれて技術向上のための方法論が確立されていくので、プレイヤーごとの能力差は縮まってくることが多いと思います。なので、単純に過去のプレイヤーと比較することは難しいです。
ものすごく突出したプレイヤーが出てきたりすると、世間は大いに盛り上がりますが、「競技全体のレベルが下がっているのではないか?」というひねくれた見方をすることもできますね。特に、将棋や囲碁などは江戸時代と現代ではプレイ人口もルールもいろいろと違いが大きかったりして、特に囲碁では江戸時代の名人が史上最強だと言われることも多いです。
でも、AIを利用すれば時代を超えて同じ評価基準で分析することができます。将棋では、江戸時代の名人が現在のアマチュアのトップクラスに近いようです。
囲碁ではAIの仕組みが違うためかそういった研究を見たことがないのですが、あったらぜひ見てみたいところです。
中国語から英語への機械翻訳の精度が、人間と変わらないレベルに到達したというニュースがありました。
文脈を踏まえなければ理解できないところの翻訳などは少なくともあと5年以上は掛かるかなと思っていたのですが、意外に早かったですね。
AI関連技術については、あらゆる未来予測を現実が前倒していっている感があります。
一部のウェブブラウザには、表示している外国語のページを翻訳するという機能がありますが、この精度が今回のように人間と変わらないレベルのものに置き換われば、特に日本人にとってはかなり違った景色が見えてくるのではないかと思います。
ドイツの大学の研究で、試行錯誤によってゲームで高得点を稼ぐよう学習するAIが、ある市販のゲームでソフトウェアのバグを突いて高得点を稼ぐ方法を発見したそうです。
ゲーム開発においてテストプレイを部分的にAIが行っている例はすでにあるようですが、その利用範囲はますます広がっていきそうですね。
開発者としてはAIに仕事を奪われることを懸念している人も中にはいるかもしれませんが、私個人としては、これでゲーム開発のコストが下がって、良いゲームをたくさん世の中に届けられるようになると良いと思っています。
欲求が満たされたときに活性化して快感を生み出す神経系を「報酬系」と呼びます。
報酬系は、欲求が満たされたときだけでなく、報酬を得ることを期待して行動しているときにも活性化するそうです。
ギャンブルなどにはまる原理はこういうことかもしれませんね。
ゲームデザインを考えるときも、人によっては(学生時代の私含む)ジレンマとか駆け引きといった戦略的な意思決定にかかわる構造が本質と考えてそういうところばかりに注目する人もいますが、「どんな報酬が期待できるのか」ということも非常に重要なのです。
今日は日誌の当番ということで、昨日の夜に爆笑なネタを考えておいたのですが、残念ながらそのネタをど忘れしてしまいました。
そのネタをどうにか思い出そうとしながら歩いているうちに、とある分かれ道に差しかかりました。一方は正直村へ、もう一方は嘘つき村へ通じています。そこにいた2頭のゴリラに、私が考えていたネタは何だったのか尋ねてみました。
最初に尋ねた左側のゴリラには、あえなく無視されてしまいました。所詮はゴリラ、人間の言葉など理解できないのでしょう。続いて右側のゴリラに尋ねてみたところ、「私たちは所詮ゴリラですから、人間の言葉は理解できませんよ」と教えてくれました。
さて、この中に、必ず嘘しか言わない嘘つき村のゴリラが一頭だけ紛れ込んでいるのですが、それはいったい誰でしょうか?
答え:筆者。正直村や嘘つき村など存在しないし、昨日の夜にネタを思いついたというのがまず嘘だから。
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友人の結婚式に招待されて久しぶりにスーツを着ましたが、ネクタイのきれいな結び方が未だにわかりません。
絶対に結び目が斜めになってしまいますし、論理的に考えてもこの結び方ならそりゃ斜めになるだろうとしか思えないのです。
調べたら私が使っていたプレーンノットという結び方はそもそも斜めになりやすいそうで、どうしてもまっすぐ結びたいならウィンザーノットなどが良いそうです。
しかし、数カ月に1回くらいしかスーツを着ないので今さら新しい結び方を覚えられる気がしません。
私服勤務は気楽で良いですが、こういうときにいつも焦ったり恥ずかしい思いをしたりしがちなのがネックですね。
(ちゃんと時間をとって練習しろという話ですが)
最近、爬虫類脳/哺乳類脳/人間脳という言葉を知りました。
・爬虫類脳:本能を司る
・哺乳類脳:感情を司る
・人間脳:思考を司る
そして例えば、一番やらないといけない(でもやりたくない)ことが頭ではわかっていてもつい別の重要度の低いことをやってしまったりするのは、爬虫類脳が自分を守ろうとしているからだ、と捉えられるのです。
脳をこの3つに分けること自体は学術的に認められているものではないようですが、このように考えると、できないことに対してあまり自分を責めず、冷静に捉えることができて良いかもしれないと思いました。
ここ何年か、ポモドーロテクニックとかGTDとか、仕事の集中力を高めるためのメソッドをいろいろ試しています。
最初は効果が感じられるのですが、数ヶ月もすると飽きてくるためか効果が薄れてしまうのが常です。
さて、ゲームも最初は楽しくてもそのうち飽きてくるのが常ですが、あるプロゲーマーの方がゲームの飽きについてこんなことを言っていました。
「成長が実感できていれば、飽きるってことはない」
つまり、仕事でもより高いレベルへの成長をめざせばいいということでしょうね。
テクニック的なことも有効ですが、長くパフォーマンスを維持するにはには根本的な欲求の持ち方が重要なのだなと思いました。
「擬音間違えゴリラ」をご存知でしょうか。
擬音間違えゴリラは、メラメラと歩き、テクテクとエサを食べ、パキパキと水を飲みます。
ツカツカと排泄し、ポソポソと胸を叩き、メラメラと眠りにつくのです。
そんな擬音間違えゴリラに私は興味ギンギンです。
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今日はクオリティの低い謎掛けに挑戦してみたいと思います。
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「壊れたパソコン」と解きます
その心は どちらも7文字~15文字の間です
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「シュールすぎるコント」と解きます
その心は 一方は毎営業日更新で、もう一方は尖った若手芸人がやりがちです
「ずっこけ革命戦士たちの奮闘日誌」と掛けまして、「錆びた鉄パイプ」と解きます
その心は どちらも存在します
どうでしょう。うまくクオリティを低められましたでしょうか。
この方向性を追求すると、哲学になっていくのではないかという予感を得ました。
10月に教師なし学習で最強の人間を遥かに超える強さを獲得してしまった囲碁AIが話題になりましたが、昨日、同様のアルゴリズムで将棋とチェスでも最強になったという論文が発表されました。
対戦型のビデオゲームを開発するとき、AIプレイヤーの制作はかなり大変な作業ですが、数年後にはそんな苦労から解放されるかもしれませんね。
そのためにはオフィスに1台スーパーコンピュータという時代にならないといけないと思うのですが、そちらの方面は非常に不安なニュースが…。
何がどうなっているのかまだほとんどわかりませんが、とにかく未来への希望を絶やさないでほしいものです。
2010年くらいからだと思うのですが、お笑い芸人のコントの大会などで高く評価されるネタを見ていると、ひとつの大きな流行があることに気づきます。
それは「執拗なまでに同じボケを繰り返す」というものです(これを「繰り返し型」と呼ぶことにします)。
90年代~00年代のお笑いは、観客の予想を裏切ることを良しとする価値観が支配的だったので、ボケはどんどんエスカレートしたり、変化したりするのが当たり前だったように思います。
その当たり前を裏切るような形で、繰り返し型コントが生まれてきたのですね(それ以前のお笑いにまったくその要素がなかったわけではありませんが、多くの若手が意識的に取り入れ、進化させはじめたのはここ最近のことだと思います)。
もちろんまったく同じことの繰り返しだけでコントが成立するわけではなく、繰り返し型コントにおいては、ボケではなくフリの部分をエスカレートしたり変化したりさせています。
それによって「結局ボケは同じ」という落差がより際立つことになるのです。
繰り返し型コントは、前述のように「ボケは観客の予想を裏切るのが当たり前である」という観念を持っていないと楽しめないので、人によっては何が面白いのかわからないという危険性があります。
しかし、大きな大会で高く評価されているネタを分析してみると、繰り返し型の要素が含まれているコントが非常に多いことがわかります。
90年代~00年代前半あたりに笑いのパターンはかなりやり尽くされてしまって、まったく新しいものが生まれる余地は少なくなっていますが、それでもまだこういった新たなパターンが発展してきて、しかもプロからも高く評価されるというのは、とても好ましいことだと思います。
先週から、iOS/Android用アプリ「SOCCER LOVE」にて期間限定イベントが開催されています。
http://soccerlove.jp/event01/
普段はヨーロッパのリーグに所属する選手が主に登場するのですが、今回の期間限定イベントでは日本の有名選手がたくさん登場するので、思い入れもひとしおです。
次はどんなイベントや新機能を追加しようか、思案する毎日です。
英語を勉強するときに誰もが「なぜ3人称単数現在形の動詞だけ語尾に -s が付くのか」という疑問を一度は抱くのではないでしょうか。
これは英語の歴史的な変化を見るとむしろ逆で、かつては1人称単数・1人称複数・2人称単数・2人称複数・3人称複数にもそれぞれ語尾に特別な接尾辞がついていたのですが、いずれも不安定な音だったため近代英語に変容する過程で消失したのだそうです。
3人称単数の接尾辞のみ、安定した音なので残っているということです。
こういうことを聞いたとき、面白いと思ってもっと英語を勉強したくなる人と、そんな理由でややこしいルールを覚えないといけないのかとげんなりする人と、合理的な文法だけで構成されたオリジナルの言語を作ってみたくなる人がいると思います。
私も学生時代に言語を作りかけたことがありますが、語彙を作る時点でさすがに挫折しました。今は文句を言わずに勉強中です。
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